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溶かす
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木炭、石炭、コークス、油、ガス、電気など時代につれて燃料は変化している。しかし、金属の鋳造性を最大に引き出す条件は一つだ。その条件の見極めは、熔けた金属の表面(湯面)である。
激しい空気の流れと火炎のベールに隠された奥に、湯面はある。
「暑い(熱い)」「眩しい」その過酷な環境の中で、熟練者は少しの変化をも見逃さない。なぜなら、鋳物の良し悪しはこの時に凝縮されているからだ。 |
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受ける
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私達は、鋳造条件を満たした液状の金属を「湯」と呼ぶ。
作品のボリュームに合わせ、職人はこの「湯」を運ぶ。湯汲み(とべり)を高温物質の器とし、目的の場所まで運ぶ。
ブロンズで1200℃、鋳鉄で1400℃。一瞬の失敗で「湯」は凶器となる。これを身の内30cmに持ち職人は走る。ほんの少しの間で、湯の鋳造条件は崩れてしまう。ここでのミスは作品の未完ばかりか、職人の身体までも危険にさらす。
失敗はけして許されない。 |
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流す
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水を器に注ぎ入れるのとは、訳が違う。鋳型の大きさ、形状によって「湯」を注ぎ入れる要素が変わる。高さ、圧力、太さ、タイミングといった要素が微妙に絡み合っているデリケートな瞬間だ。一口の湯口では、これらを一人で決定し実行するが、作品が大きく複雑になるにつれ、二口、三口と湯口が増す。こうなると、おのおのの職人の「気」が合わないと、作品がお釈迦になるのだ。ちなみに、お釈迦とは鋳造業から発生した語であり、役に立たない物や事をいう。また、失敗の理由を「火が強かった。」などと職人はいう。4月8日に聞こえる。この日はお釈迦様の誕生日だ。だからお釈迦になるなのだ。
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生れる
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数々の条件を乗り越えて作品が誕生する。それは、どんな仕事であってもいえることである。しかし、鋳物というのは湯を流し込んだこの時点でも、まだその姿をみせない。「湯」が凝固し収縮を始める。言葉では表現できぬ音とともに、とても大きなエネルギーを発生し、ちぢまる。エネルギーはいずれ出し尽くされて鋳物はホッとする。この時を待って職人は再び作業を開始する。いよいよ作品が顔をのぞかせるであろう。皆が思うことは、一つ「うまく出来ているだろうか。」職人でなければ経験できない、独特の緊張感がある。お釈迦であればもう一度やり直し。これまでの時間と労働力、そして費やした気力を計算に入れると失敗は完全な赤字である。
成功はあたりまえのことなのだが、しかしうれしい。良かった、自分の腕の確かな証だ。そして、この自信が次の作業への活力になる。「この鋳物は形を授かった。俺の腕で魂を入れてやろう。」職人は、額の汗を土ぼこりの付いた袖でぬぐう。鏡を見るまで、自分の顔の汚れは知らない。作業は続く。
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